20140331 end line start line


真っ白になった翌日から、最終勤務日を迎えるまで時が経つのが早すぎた。

 

最後の最後まで社内イベントに関わらせていただき、最後の最後までやりたいことをやらせてくださった会社。

素っ頓狂なアイディアも全部理解してくださるオーストラリア人の上司の存在が、わたしののびのびを加速させた。

 

最終日は天候が優れず、飛ばなくなった飛行機の乗客を突然迎え入れることになった。

到着予想時刻は深夜。全ての業務が終了したのは5:00am頃であった。

バタバタに飲み込まれたのは私らしい最後であったと思う。

 

制服を脱ぎ、メッセージを添えて洗いに出す。

ロッカーに鍵をかけ、一礼した。

 

通勤路の海沿いの道はいつもと変わらない景色

リゾート地の早朝の姿はしんとした空気を醸し

少しだけ空が白んでいた

 

終わった、という感覚が全く無い

今でもそうだ

未だに彼らの一部のような気がしている

 

 

 

さて、いよいよ本当に真っ白な日々が始まる

明日から自分が全てを進める

 

ひとつ決めていたことは、人に会いまくる、ということだった

 

 

翌日、親愛なる参謀長新井さん、殿下庄司さん、そして一番の理解者である黒木敬子に目隠しをされタクシーに詰め込まれた。

到着したのは夜の日比谷公園。その場で卒業式が執り行われた。

門出を祝われるというのがこんなにも嬉しいのか。

飛んだ結婚観をお持ちの不動産会社の代表と、ファンキーな北軽井沢ホテル経営者と、何があっても敵わない最強のライバルであり矢文友達、偶発的な縁で出会い、それ以来度々集まっていた。

旅にも出た。

手書きの毛筆の証書をいただき、屋外スパークリングと共に新しい一歩を踏み出す。

 

出会う人に恵まれすぎている自分の運がたまに怖くなる。

 

            

卒業式を皮切りに、お世話になった人々に会いに行き

これからお世話になるであろう人々に会いにいく旅がようやく始まった

2014 03 13 WHITE

最終出勤日まであと2週間

オープンに向けての作戦会議でしんごさんに会った。

少し期間が空いてから会うと必ず
「最近いいことあった?」と聞いてくれる。

基本的に毎日いいことがたくさん起こるので
どの「いいこと」を話そう、と選出するために考えを巡らすこの時間が好きである。

狭くて油臭い渋谷の店で上質のらーめんをすすりながら近況を話し合った。
ぎゅうぎゅうの店内はまだ肌寒いこの時期のせいで不快ではなかった。

しんごさんはもともと東京近辺に住んでいたが、福岡に惚れすぎて(本人談)数年前に移住した。
福岡で自身のビジネスを進めているが、東京でも展開しているため、
ものすごい頻度で行ったり来たりしている。
「距離感のない人間になりたい」とおっしゃっていたのは印象的だった。
遠いからいけない、そこに住んでないから行けない、という理由は彼の中にはほとんどなかった。

場所を変えて、ようやく宿の話に入った。

しばらく会わないと近況を話すことで頭の中が溢れかえり、本題に追いつくまでに時間がかかる。

オープンがもう次のシーズンに迫っていたので、話し合いたい事項がたくさんあった。

口を開こうとすると、しんごさんが先に話し始めた。



「スケジュールが変わりそうなんだ」



おっと



まぁ、予定は未定なので、変更はつきもの。
思い通りにいくことの方が少ないだろうと構えていたので、どう変わりそうなのか気楽に尋ねた。


結論から言うと、開業が半年以上伸びそう、ということだった。
というか意図的に伸ばしたのである。
地域の皆様の理解を得て万全の開業をするための決断であった。
しんごさんは既に福岡に在住なので、現地でのやりとりや交渉などを全て行ってくださっていた。
今回チームに最強のブランディングパーソン大井さんが入るのだが、彼らとの話し合いの末であった。


さて、はりきって3月末で会社を離れる宣言を上司にしてしまったが、
いやはやこの歳になって無職生活に入れるとは。


真っ白だ。


「なんでもできるし、なんにもできない」という、不思議な感情がぐるぐる渦巻いていた。


この日の晩、やりたいことリストの作成は深夜にまで及んだ。

2014 02 05 上司のひと押し

私は勤めている会社でかなり恵まれた環境にいた。

社内には私が勝手に決めた「絶対に一緒に働きたい上司TOP3」がいたのだが、運良く、全員と代わる代わる同じ部署になり一緒に働くことができていた。

 

後半は、有り難くもチームを持たせていただいた。全くもって無知でド新人な私を、周りがちゃんとサポートしてくれるオトナな部署へ配属してくれたり、発案したイベントを好き勝手やらせてくれたり、全部署回って学習させてくれるような会社だった。

 

相当な愛着と、この人のために戦おうと決めた上司の存在が、決断を鈍らせていた。

 

 

「思いっきりやりなさい」

 

上司に次のステップの話を切り出した時の最初の反応だった。咎めるでもなく、見放すでもなく、真っ先に応援してくださったのだ。

ここから先の展開はとても早く、あっという間に退職までのステップが整っていった。

(誰ひとりとして「寿退社?」と聞いてくれなかったのは今でも謎である)

 

 

いよいよだ。

 

卒業生が居た会社の真価を決める

 

しんごさんの同時多発的なアイディアの波に飲まれながら、新しい海へと泳ぎ始めた。

 

どんどん変わる景色に目が追いつかない感覚がたまらない

 

そして課題がひとつ。

「宿」と「旅」に対しては狂おしいほどの愛をもっていたのだが、なんとゲストハウスというタイプの宿に関してはそれほど知識を持ち合わせていなかった。

それにもかかわらず、船に乗ってしまった。そしてもう出航していた。

 

遅ればせながら、ここからゲストハウスのなんたるかに迫る日々が始まる。

 

 

2014 01 30

そして私は1週間後、既に福岡の地にいた。

 

福岡に来たのはほぼ初めてだ。

ほぼ、というのは、恐らく一度修学旅行で来た(らしい)ので。学生のうちの旅行なんて、本当は行き先などどこでも良くて、楽しい仲間とわいわい騒ぎ倒すことが、ある種の目的だったりする。福岡に来たかもしれないが、それは私の中で福岡に来た、という記憶ではなかった。

 

羽田からたったの1時間半       

行きたいところに行きたい時に簡単に行けるようになった、と感じる時に、おとなになったなぁと思う。世界はどんどん近くなる。

 

機内では、出発前に会ってきた両親のことを思い出していた。約1年ぶりの再会だった。次の進路の構想を話すと

 

「なんでも好きなようにやりな、うまくいくから」

 

と、その一言だった。彼らはいつもそう、小さい時からどんなことを話しても「好きなようにやりな、うまくいくから」、これしか言わなかった。

おかげで私は本当になんでものびのびやらせてもらえた。

小さい時には、周りの友達の親と比べて、なんで私は構ってもらえていないんだ!放ってばかりおかれるんだ!と拗ねていたこともあったが、いま大人になって考えてみると、あんな大きな言葉はなかなか言えないと思う。

自分の子供に同じことを言えるかと考えても、やっぱり怖くて言えないと思う。

 

滑走路が見えてきた。

 

 

しんごさんのお出迎えを受け、人生で一番うまい茹で餃子を、古い小さい中華屋さんで食べた。その席には、恐らく私が知っている中で世界で一番楽しそうに笑う男、トガちゃんもいた。彼の笑い声にはいつもどうしてもつられてしまう。

そして、これから仲間になるケイジさんもいた。どう考えても実年齢と釣り合っていない見た目の持ち主だ。一回りも上なのに、同い年に見える。

そんなパワフルなメンバーから次から次に飛び出す構想や発想に、ワクワクしながらも、きちんと追いついていけていない自分もいた。

 

気持ちはほとんど動いていたのだが、今になって会社のことも気になり始めていた。

 

2014 01 24

前日はやはり眠れなかった。

ちょうどディズニーリゾートの近くに住んでいたのだが、そこから空港への直通バスが頻繁に運行していた。朝、バスに飛び乗り、羽田空港へと向かった。

 

しんごさん。

 

今回の痛烈なLINEメッセージの送り主だ。

彼には5年前、東京ビッグサイトの通路で出会った。就職活動生向けの合同企業説明会が開催されており、彼はシャツ屋さんのブースを、私はホテルのブースを出していたのだ。

ちょうど斜め向かい同士に位置していた。空き時間中、就活からさほど時間が経っていなかった私は出展企業が気になり、会場を回っていた。

ぐるりと回って、斜め向かいのブースで足が止まる。ブースのつくりがかなり刺激的だった。

外壁一面に書かれた企業の熱い思いと、学生へのメッセージをついつい読み込んでしまう。

その時にブースの中からしんごさんが現れた。

 

「こんにちは。学生さん?」

 

「い、いえ、、違うんです、すみません。斜め向かいでブースを出してまして、、

気になったのでつい、、、」

 

本日のターゲットである学生、ではないと判ってからも彼は飄々と話し続けた。不思議な大人だな、というのが最初の印象。どこの誰かもよく分からない一女子に、シャツの素晴らしさを語り続ける。名刺を交換して、その場を離れた。

 

そこから事あるごとにお会いすることとなる。

彼の存在はもはや社外メンターであった。働き方や組織のありかた、夢を持つこと、人との付き合い方、行動することの強さ、、、ありとあらゆることを時間を割いて教えてくださった。

会っ てくださる度に「なんでこの人は私なんぞに時間を割いてくださるんだろう」とますます不思議が増していった。同時に、この縁を大切にしたいけど、どうやっ てやったら切れずに続けられるのかが分からずモヤモヤしていた。大人とうまく付き合う方法が全くわからなかったのだ。

 

見透かしたようにタイムリーに応援してくださったのも、彼だった。

夢はでっかく!とのことで宇宙兄弟を読みに一緒に漫画喫茶に行った時のこと。

すっかり読みふけっている時に、隣の席に座っているにもかかわらず彼からのメールを受信した。

ちら、と顔を見るも無反応。開封すると、マジックジョンソンの言葉付き長文応援メッセージだった。私があれこれ悩んでいたことを察しての応援。

全部読みきる前にそっと席を立ち、静かにトイレで泣いた。

 

そういう人なのである。何があっても崩れない尊敬があった。

 

羽田に到着し、カフェで落ち合う。

私はここでも自分が勝手に解釈した「どう?」の意味をぐるぐる考えていた。ただの勘違いだったらアホらしい、でももう気持ちがかなり動いていた。

 

「詳細」を聞きたいと伝えていたのだが、「詳細」は全くなかった。

 

「かとちゃん参加してくれたらおもしろいだろうなーと思って。それだけ。」

 

え!以上!?なんとさっぱりした話に拍子抜けしてしまったが、きっとそれに全てが込められていたんだと思う。とりあえず、私の解釈した「どう?」の意味は合っていたらしい。

 

「最速でいつjoinできる?」

 

んーー、複数の上司の顔が一気に浮かぶ。

 

「3末です、かね、、」

 

「OK! 分かった!じゃ、3末で!で、来週福岡来て」

 

早っ

 

モノゴトが始まる時の加速を感じていた。

 

この憧れの方とまさか一緒に働けるとは全く想像もしていなかったので、心底嬉しい半面、身分不相応であるという思いが交錯していた。

2014 01 14

「ゲストハウスやろうと思うんだけど、どう?」

 

遅番勤務中だった私のLINEに飛び込んできたメッセージ。休憩時間に開封すると、同時に急に体が熱くなるのを感じた。

 

なんだろう。。。どう?って、、、、どう?って、、、何?

 

たった2行のそのメッセージに瞬時に頭をかき乱された。

 

どう?って、、、何よ、、、

 

「どう?」の3文字がぐるぐる回る。

 

いろんな意味の「どう?」があるはずなのに、私は勝手に「どう?一緒にやらない?」の意味に捉えて、はやる気持ちを抑えながら自分の中でできるだけ冷静に振舞おうと「詳細を聞かせてください」、とだけ返信した。

 

今考えると、どう?はそう言う意味ではなかったかもしれない。「どう?この業態いいと思う?」「どう?この立地イケてると思う?」という意味だったかもしれない。

が、私は勝手に誘っていただいているものと思い込んでいた。

 

どぎまぎしながら職場へ戻る。長蛇のチェックイン待ちの列を前に、私はフロントカウンターに入った。妙に宿泊業が愛おしくなり、その気持ちが漏れていたのであろうか、お客様とのコミュニケーションがいつもより断然弾んだ。

深夜の退勤までそれは続くこととなる。

 

案の定、この日は一睡もできなかった。

 

小さい時から楽しみなこと、わくわくすることが翌日にあると、前日の夜に寝れなくなり、挙句当日熱を出すような子だった。ふと、そのことを思い出す。

 

おとなになって、わくわくしすぎて寝れなかったこと、あった?

 

寝れない、ということはもうある種、私の中の答えであった。

感覚は、大体の場合正しい。

もしくは、正しい方向に向かうように、無意識で調整しているのかもしれない。

 

詳細の話を聞く場所は、羽田空港となる。